新入荷 再入荷

女流画家 奥原晴湖 柳溪得漁図 紙本掛軸

flash sale icon タイムセール
終了まで
00
00
00
999円以上お買上げで送料無料(
999円以上お買上げで代引き手数料無料
通販と店舗では販売価格や税表示が異なる場合がございます。また店頭ではすでに品切れの場合もございます。予めご了承ください。
新品 1520円 (税込)
数量

商品詳細情報

管理番号 新品 :3782718220
中古 :3782718220-1
メーカー bd77a4dacb80 発売日 2025-04-16 21:50 定価 3800円
カテゴリ

女流画家 奥原晴湖 柳溪得漁図 紙本掛軸


戦後表装直してスッキリしております。箱書ありますがいまいち不明、中村不折やろかとも思います。違うかもしれません軸先含めない全体的な大きさは208cm×57cm程度です。奥原晴湖(おくはらせいこ)女流南画家の大家 1837~1913年  古河藩士の池田政明の四女として生まれました。10歳のころには古河藩家老の鷹見泉石と交流が生まれ、17歳の時に谷文晁の流れを汲む枚田水石に絵画を学ぶようになります。29歳の時に関宿藩奥原家の養女となり上京、上野池之端の岡村家を頼り、摩利支天横丁に新居を構え「墨吐烟雲楼」と看板を掲げ、晴湖と号しました。このころの画風は、豪放磊落で力強いながら、理にかなった用筆や功名な構図が見られ、世に“東海書き”と称されました。「墨吐烟雲楼」では、書画と共に漢学を教えました。漢詩は当時第一流の大沼枕山や薄井小蓮に添削を受け、作品には必ず自作の詩や詩句を書き、独特の詩境を見せるようになりました。 明治元年、32歳の頃には木戸孝允や山内容堂、大沼沈山らの画会に出席し、政界の名士と交流し、明治5年には皇后陛下の御前で揮毫するなど、華々しく活躍しました。その活躍から明治12年の「皇国名誉書画人名録」に閨秀画家として晴湖が筆頭にのぼりました。 その後「墨吐烟雲楼」が鉄道用地として買い上げられると、古河藩領があった上川上村(現・熊谷市)に居を構え、画室を「繍水草堂」「繍佛草堂」「寸馬豆人楼」などと称して作品を発表しました。その画風は密画が多く、非常に鮮やかで色彩豊か、細密な筆致で描かれるようになりました。その後の大正2年に77歳で亡くなり、上之の龍淵寺に葬られました。
カテゴリー:ホビー・楽器・アート>>>絵画>>>水墨画
商品の状態:やや傷や汚れあり
配送料の負担:着払い(購入者負担)
配送の方法:ゆうパック
発送元の地域:京都府
発送までの日数:1~2日で発送

 

商品情報の訂正

このページに記載された商品情報に記載漏れや誤りなどお気づきの点がある場合は、下記訂正依頼フォームよりお願い致します。

訂正依頼フォーム

商品レビュー

レビューの投稿にはサインインが必要です