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平成31年 30ページ 部数は少なそうです。資料用にもいかがでしょうか。
吉良荘 (きらのしょう)
三河国幡豆郡(現,愛知県西尾市中部)の荘園。1159年(平治1)下司平弘蔭が法服装束の裳を調進しているのが史料上の初見で,成立事情等は不明。878年(元慶2)幡豆郡荒廃田100町が清和天皇皇女孟子の一身田とされており,その荘園化したものか。また1177年(治承1)に崇徳天皇中宮皇嘉門院聖子(藤原忠通女)が姪参子を吉良荘西条預所に補任しており,元来は寄進地系の藤原氏領ともみられる。81年(養和1)聖子は甥の九条良通(兼実子)に所領を譲り,以後九条家領。承久の乱後足利義氏が地頭職を給され,庶長子長氏に伝えて御家人吉良氏が成立した。長氏は西条に本拠をおき,子孫の今川,荒川,戸ヶ崎氏を分出した。東条には一時義氏の子義継が地頭であったらしい。1250年(建長2)には西条は地頭請所となっていた。これが現段階での九条家領としての所見の最後である。中世後期には吉良氏の一円支配地になったとみられる。
執筆者:新行 紀一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」
吉良荘という荘園名の由来は八ツ面山で雲母 (うんも)が採れたことに因むといわれます。 雲母は別名「きらら」といい、ここから荘園名の「吉良」に結びついたようです。 荘域は現西 尾市域とほぼ重なり、かつては旧幡豆郡とほぼ同じ意味として「吉良」が用いられていました。 2021年は吉良氏が西尾へ進出するきっかけとなった承久の乱(1221年)から800年を迎え ます。
国 国宝/璽 国指定重要文化財/圓 県指定文化財/市 市指定文化財
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表紙小傷程度で特に目立った傷や汚れはありません。502553s
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